北海道命名の地
北海道音威子府村~「北海道」名称の発想の地
掲載日2022年8月
(撮影取材日2018年8月)
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北海道の音威子府村の北海道命名の地です。
「北海道命名の地」の碑が音威子府村の天塩川のそばにたてられています。
命名をしたのは幕末の探検家「松浦武四郎」です。
松浦武四郎は「北海道」の名称に、ここ音威子府村でその発想を得たとされています。
上の写真は、「北海道命名の地」の碑までの道です。
国道から舗装がされていない道に入ったところです。
ほんの少しばかりダートを通り過ぎていきます。
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駐車ができるスペースから、数十メートル歩くと「北海道命名の地」碑が見えてきます。
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木の柱に「北海道命名の地」と書かれた碑と、説明板があるだけです。
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説明板では、「松浦武四郎が天塩川の探査の帰途において、オニサッペ(現在の筬島の鬼刺川付近)で、アイヌ民族の「アエトモ長老」から話を聞いたとあります。それはアイヌの通称「カイナ」の「カイ」とは、この国に産まれた者ということです。
これを聞いた松浦武四郎は、この「カイ」から、蝦夷地の「蝦夷」とは「加伊(かい)」のことであると考えます。
1869年7月、松浦武四郎は名称に関する意見書を提出します。候補は「日高見道(ひたかみどう)」、「北加伊道(ほくかいどう)」、「海北道」、「海島道」、「東北道」、「千島道」の6つを提示していました。
この中から「北加伊道」が採用されています。また後に「加伊」には「海」をあて、「北海道」となっています。
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上の写真は北海道命名の地碑のそばを流れている天塩川です。
その後ろには宗谷本線がとおっています。
北海道の名称について、松浦武四郎がアイヌ民族長老アエトモから話を聞いたことが、発想につながったと説明されていますが、実のところは諸説あるようです。
しかしながら、音威子府村が北海道名称の発想のきっかけとなった地と考えられています。
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